函館市地域交流まちづくりセンターは、市民活動の支援・観光案内をはじめ
地域情報の発信を通じ、
地域のコミニュケーションやまちづくり活動をサポートする。
まちづくりに関すること、それ以外の個別諸問題が相互に絡み合い、
問題が複雑階層化することが否めない現代においては、
まちづくりセンターの担う役割は大きい。
まちの問題は、そこに生きる人々の問題へと必然的につながる。
私は、2ヶ月半まちづくりセンターで研修をさせていただいた。
研修のタイムリミットが、終わる今日の思いは、実に多い。
2ヶ月半の研修の日々は、『あっという間に過ぎた』という、
今まで使っていた常套句は使わない。
有意義かつスローに時間が流れた、まちのイベントに参加したり
、街の魅力的な論客達との会話を交える機会に恵まれるなどの
普段では体験できないことが経験でき、飽きない時間を堪能できた。
まちづくりセンターの研修の日々の業務で、
体全体に経験や思いが刻まれ、体のいろんなスイッチがオンになりました。
来場者をカウントする手は、
「おはようございます」「こんにちは」「ありがとうございます」の挨拶の言葉とともに
体に感謝のリズムが刻まれた。 刻まれたリズムが自分に響いて自分が優しくなれて安寧する。
来場者が転ばないように 車が埋まらずに 停めやすいように
正面玄関や駐車場を雪かきする手は、
踏ん張る足腰とともに、筋繊維が発達し力強くなり、
メンタル面にも連関し強さを増す。
翌日のイベントや講座などの日程を記入する手は、
内容を想像する脳とともに、注意力や表現力が広がることをもたらせた。
プログの写真を撮影する手は、大事な瞬間を探そうとする眼ともに
自分にとって大事なものを考える判断力を培わせた。
街の魅力的な論客の語る高話や、観光客の求めている内容を
聴く耳は、集中力をピンポイントで向けさせることへ止揚させた。
館内の1Fの喫茶店から醸し出される美味しい匂いや、
誰かが差し入れで持ってきたお土産の美味しい匂いは、
味覚とともに誰かの口を滑らせた。
眼と耳で観察することで会話のテクニックを学ぶ。
今思い返すと、2ヶ月半前にはなかった、思い出とともに
以前の自分には、至上命題に思えた パーソナリティーが養えた。
稀にみる濃縮された経験の日々であった。
ヒトは、複雑な化学生命体
物質と物質が触れ合うと 化学反応したり、エネルギーが生まれるように。
ヒトとヒトが触れ合うと、感情が反応し、エネルギーが生まれ、
影響を受けると変わろうというスイッチが押される。
まちづくりセンターでは、観光客・街の論客・NPOに携わる方々・地域活動に携わる方々・
学校の後輩・まちづくりセンターを支えるスタッフの皆様 数多くの方々と触れ合えた。
人がまちをつくり、まちのどこかで人と人とが触れ合って、まちを発展させる。
エコノミック・アニマル的思考の追及だけでは、人は幸せにはなれず。
論理的にすべてがうまくいく訳ではなくて、そもそも論理には欠陥性を伴う。
そういう意味でも、まちづくりについて多岐にわたる
視点を持つ人々の活動を支え助長する、まちづくりセンターの担う役割は大きいと思える。
悲しい別れには、思いのほか 感傷的に悲しむ自分ではあるが、
今回は、悲しい別れではない。
まちづくりセンターの利用者には、中学生の頃から通っていて、
成長した今も通っている青年たちがいます。
そして、彼らはよく まちセンのスタッフとよく雑談している
そんな 光景を眺め
自分も彼らのように 時々 まちセンを訪れたら
優しく受け入れてもらえるんだと思うと 寂しさや悲しさは昇華されました。
自分にとってまちづくりセンターは、自分の部屋の次に居心地の良い場所でした。
時々、散らかりすぎた自分の部屋よりも居心地のよい日もありました。
これからの自分は、まちづくりセンターでの大事な経験を生かして
最後に大事なスイッチを押してもらって、大器晩成
そして、何らかのカタチでまちづくりに携わります
まちづくりセンターで影響を受けた当然の結果。
そうなる未来が、まちづくりセンターでお世話になったスタッフの皆様、
触れ合えた皆様への 一番の恩返しだと思えます。
以上、大高