津軽鉄道沿線の旅レポート その3。からの続きです。
【前回までの旅のあらすじ】
ストーブ列車に乗り、スルメと日本酒と人情に酔う。
のち、十三湖の旨みたっぷり寒しじみに舌鼓!
中泊町にて、冬アスパラの収穫体験。
「津軽鉄道沿線食の旅
ストーブ列車で行く 冬の美味しい体験ツアー」
お待たせしました。いよいよ旅もクライマックスです。
![27 yakata.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/27%20yakata-thumb-200x266-10387.jpg)
アスパラ収穫のあと、30分ほど中里観光バスに揺られて、
再び五所川原市へ。「立佞武多の館」に到着!
外から見ても、一際目立つ建物。
この中には、夏お祭りで使用する「立佞武多(たちねぷた)」が
そのまま収納されています。
![28 odemukae.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/28%20odemukae-thumb-200x266-10390.jpg)
エントランスに入ると、いきなりミニサイズの立佞武多がお出迎え。
入ってすぐにご案内されたのが、「つくね芋」の試食でした。
これも特産品の一つ。長芋の5倍(!)も粘りがあるので、
成分的にも健康に良く、食欲が無いときでも、つるるんと入ってしまう美味しさ。
(ここまでの道中、食べまくりだったのに、ペロリと完食したのが証拠です)
![29 gohan.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/29%20gohan-thumb-300x225-10393.jpg)
お味は、というと。粘りの凄さはもちろんのこと、お芋自体の甘みが、ものスゴイ!
口当たりが、こっくりしていて美味!おかわりした人もいました。
横に添えられた漬物
「つくね芋と人参の味噌ヨーグルト漬」も、やさしい味わいでした。
![29 waiwai.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/29%20waiwai-thumb-300x225-10405.jpg)
つくね芋は、こんな形。その場で1個200円で販売されました。
![29 imo.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/29%20imo-thumb-300x225-10396.jpg)
男性の拳よりも3まわり増ぐらいの、ゴロン!とした丸いお芋なのです。
重たいのを承知で、何個も買い込んでいた方もいました。
後でお土産として貰った方は、さぞ喜んだことでしょうね!
そのくらい、存在感があり、ズッシリ手ごたえがあります。
続いて、お待ちかね
お腹が落ち着いた頃に、館内の見学がスタート。
「写真OK」だったので、遠慮なく、たくさん写しちゃいました。
とにかく、見上げるほどの大きさ。
この迫力!デカーイ!およそ23メートルあります。(6階建てのビルに相当)
![30 dekai!.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/30%20dekai!-thumb-300x253-10408.jpg)
見えるかな?上記の写真の、左側に小さく人が映っています。
これで立佞武多の大きさが、なんとなくわかっていただけるかと思います。
![30 miageru.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/30%20miageru-thumb-200x266-10417.jpg)
ここで、津軽鉄道 営業グループリーダーの菊池さんお話してくれた
「歴史の上で、一度廃れた立佞武多が、なぜ復活できたのか?」という話。
五所川原は豪商が多かった土地で、豪華絢爛な立佞武多が作られた、
というのはレポートその2。で少し紹介しました。
もっとも繁栄していたのは明治時代のこと。
![30 nemurinagasi.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/30%20nemurinagasi-thumb-300x225-10420.jpg)
(上の表示には「ねぶた・ねぷた」の語源説が書いてあります。
クリックすると画像拡大)
その後、なぜ廃れてしまったのか?
諸説あるようですが、バスの中で聞いた理由は「電線」。
街の発展とともに電気が普及。
電線のある道が通れなくなるので、
立佞武多はどんどん低く、小さくなっていきました。
もちろん、作るのにも膨大な費用がかかるので、
景気が悪くなるとともに、どんどん規模が縮小。
それで廃止に追い込まれた、というわけです。
![30 tatineputa1.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/30%20tatineputa1-thumb-300x225-10441.jpg)
(ちなみに現在でも、1台つくる費用は2400万円、とのこと!
リサイクル利用できる材料を上手く使って、
今は半額の1200万円程度に抑えられているそうです。)
そんな昔の記憶が忘れ去られた頃。
五所川原の人々の手によって、蘇ります。
1996年、当時の写真や図面が出てきて、
それを見た有志の方々が製作しようと団結しました。
もちろん、これだけ大きな物なので、作っているだけでも
周囲の方々がどんどん集まり、みんなの希望が膨らみました。
お祭りは大盛上がり。
![30 siata-.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/30%20siata--thumb-200x266-10429.jpg)
(上の写真、館内の上階には、シアターの見られるスペースがあります)
![30 siata-2.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/30%20siata-2-thumb-200x266-10432.jpg)
マスコミや口コミが広がることによって
全国的にも有名なお祭りになり、完全復活した、というのが
この五所川原の「立佞武多」なのだそうです。
![30 okurie.JPG](http://www.hakomachi.com/diary/assets_c/2012/01/30%20okurie-thumb-300x225-10423.jpg)
(送り絵という、立佞武多が去った時に見られる、後ろ側の画。)
お祭りには、3台が必ず出ます。
1年につき1台、新しいものを製作。
つまり、1台の任期は3年、ということですね。
昔は、竹の枠を組んで和紙をはり、光はロウソクの炎、という形だった立佞武多も
今は、針金と丈夫な和紙、電球の光で組み立てています。
他の地域に見せたい、という時もバラせて
持っていけるような仕組みになっています。
今、製作所には、若い方や女性の職人さんもいて
立佞武多の未来はしっかりと守られております。
で。
「こんなに大きなもの、どこでどうやって作るの?」と思っちゃいますが。
その製作現場も館内で見学できるようになっています。
見てみたい?
では「続き」以降にレポートしまーす。