【スタッフ連載】谷口の「先輩に聞いてみました!」
【vol.1】はこまち通信 vol.49 掲載
白浜クラブ代表 木村 マサ子さん編
【vol.2】はこまち通信 vol.50 掲載
函館護國神社祭典委員長 玉川 康隆さん編
【vol.3】はこまち通信 vol.51 掲載
函館南更生保護女性会 会長・大町町会 女性部長 石畑 明子さん編
【vol.4】はこまち通信 vol.52 掲載
カリフォルニアベイビー・オーナー 柴田 修平さん編 NEW!
スタッフ連載・谷口の「先輩に聞いてみました!」vol.1
NPO法ができて20年がたちました。函館において、市民活動・まちづくりを一生懸命に活動してきた先輩に、大事にしてきた思いや考えなどを聞きました。市民活動に関心のある方、これから活動してみようという方へお届けできれば幸いです。
~ 園児と自然体験学習 ~
函館山登山道「七曲りコース」の27の曲がり角に、こども園の園児と手づくりの木札をつけるため登山したことを新聞で知りました。今年で6回目、木札が痛んでくる5年ぐらいで交換しているとのことです。活動が長く続けられることに興味を持ち、函館の体験学習をすすめる白浜クラブのみなさんが集まる日に伺い、代表の木村さんに話を聞きました。
木村マサ子さん(左から)と会員の村本さんと富岡さん
~ 体験学習のすすめ ~
自然は体を使って観察する「見る-聴く-触る-嗅ぐ-味わう」の五感を使って、体験する。これが、前田一歩園の教えでした。
函館で桜の開花が伝えられると、函館山の麓からエンレイソウやスミレが咲き出します。北海道で生まれ育った野鳥たちも、桜前線に乗って津軽海峡を渡って来ます。花の蜜や花粉を求めて飛び交う虫を餌にする野鳥も、花から花へと木々を渡りながらさえずりあって、函館山の春はにぎやかになります。
こども園(旧保育園)の活動は、平成3年(1991年)からはじめていて、
・野外体験を通して「安全に楽しく、自分の事は自分で」をテーマにしています。
5月・函館山麓散策~野外の歩き方や仲問つくり
6月・磯浜体験~海の生き物探しキャッチ&リリース→漂着ゴミ回収
8月・海辺の観察~波の動きと海鳥観察→漂着ゴミ回収
10月・函館山登山~野外体験のまとめ
*園長先生からは、季節を通して野外体験をすることで、自信がつくのか、積極的でたくましくなっていくとのお話です。(会員からも、同様に感じると)
~ 自身の体験から ~
立待岬の麓の漁師街・住吉町に生まれ、前浜や裏の函館山が遊び場でした。
漁師街の子供は、誰もが親の仕事を手伝うのが当たりまえで、父親は風の向きで波の立ち方や漁撈(ぎょろう)道具のつくり方を見せて教えてくれました。母親たちは加工場で働き、その姿からイカや魚のさばき方を見まねで習いました。その上に近所の古老は、子供たちを集めて昔話をしてくれました。
この体験は、今の仕事に大変役立っています。新しい体験で知ると感動してうれしくなり、人にも話し伝えたくなります。さらに次の体験にステップする、その繰り返しで今の仲間ができました。
~ 仲間たちと、できる事をしよう! ~
子育てや孫の子守りを終わった70代の主婦らが、自分の特技を持って集まってきました。手早く家庭料理のできる人、庭の手入れをマメにしている人、自然が好きで自然情報を提供してくれる人、力仕事を手伝ってくれる男たちも。
それぞれが特技を発揮して、「身近な場所で、自分ができるボランティア」をしたいという共通の思いで繋がっています。
~ これからについて ~
前田一歩園自然セミナーにて習った自然観察の目的「自然に親しみながら、自然を知り、人と自然のつながりを知り、自然の大切さを認識する。」をみなさんに伝え、楽しく安全に保護活動を続けていきたいです。
今回は、木村マサ子さんに話してもらいました。
長年にわたる活動のお話しが聞けました。活動の原点や原動力が幼きころの体験というのは、函館の環境だからこそでしょうか。次号はどなたのお話を聞きましょう?
谷口 真貴(たにぐち まさき)
函館に住んで6年。2013年4月より、スタッフに。現在、函館の人たちに夢中になっています!!
スタッフ連載・谷口の「先輩に聞いてみました!」vol.2
NPO法ができて20年がたちました。函館において、市民活動・まちづくりを一生懸命に活動してきた先輩に、大事にしてきた思いや考えなどを聞きました。まちづくりに関心のある方、これから活動してみようという方へお届けできれば幸いです。
函館護国神社は、まちづくりセンターから近くにあり、どんと焼きに正月飾りなどを持っていっており、身近に感じています。神社からは函館市内の街なみ、津軽海峡を一望することができます。
また、今年は戊辰戦争終結から150年の節目の年です。7月より大橋幸生さんが宮司に就任されました。明治時代に創建され、大正、昭和、平成、令和へと元号が変わるなか、受け継がれてきた思い、将来にわたりどのようにして、次世代へつないでいくのでしょうか?そこで、函館護国神社を長年支える、玉川康隆祭典委員長にお話しを聞きました。
~ 函館護国神社 ~
明治2(1869)年5月創建の函館市青柳町にある函館護国神社。戊辰戦争、日清戦争や日露戦争、太平洋戦争までの戦没者13,000余柱を英霊として祭っています。毎年5月11日には例大祭(慰霊祭)が盛大に行われています。
~ 神社との出会い ~
大きく2つあります。娘が巫女さんとしてお手伝いしていたこと、もう一つは、会社のみんなで初詣に来ていたことです。会社の先輩が祭典委員長として、神社に携わっていて、その当時の宮司、真崎さんと知り合いました。まもなくして、宮司さんに声をかけてもらい、神社を手伝うようになりました。その後、大橋東城宮司(現在は、名誉宮司)さんにかわり、運営等を含めて深く携わるようになり、先輩から受け継いだ思い、戦没者、英霊を守っていくことをいつも心がけています。
1列目、左から厳島神社関根禰宜、大橋宮司、大橋名誉宮司、玉川祭典委員長、厳島神社関根宮司、山之上大神宮澤辺禰宜、2列目、祭典委員、3列目、雅楽演奏の神職
~ 運営にあたって ~
参拝されるみなさんが来てよかった、また来たいと思ってもらえるように、季節に応じて、芝生の草刈りや雪かき、清掃などをしています。境内は広大ですので、何日もかかりますが、季節ごとに見れる景色はとても豊かで、その景色がみなさんを癒やしてくれるのではと思い、手入れしています。また、神社のお祭り、例大祭や初詣の準備・対応などもしています。
~ 仲間に恵まれて ~
仲間に声をかけ、神社の歴史・成り立ち・英霊が祭られている意味等を理解していただき、積極的に活動してもらい助かっています。整備されていないところや荒れている地があったので、清掃・草刈り・切り株の抜根を協力してやりました。
~ 新政府軍の墓 ~
戊辰戦争の戦没者、青森の遺族から連絡があり、新政府軍の墓を調べました。その遺族は、以前に自身で墓を調べたけれどわからなかった、ということで、再度問い合わせがありました。その問い合わせまでの間に、青森の護国神社やいろんなところを探してまわっても見つからなかった。ただ、函館護国神社にお墓があるということをおばさんの言い伝えで聞いていた。神社でくまなく調べて、お墓があることがわかりました。
お墓があることを伝えると、青森より神社に来られました。お墓の名前を確かめ、ぎゅっとお墓を抱きしめた行動に、横で見ていて涙がでました。
墓に掘った名前は下の名だけのものや風化しているものもあるので、お墓にある名前だけで調べることは難しいです。
神社には、函館、道南はもちろん、薩摩藩(鹿児島)、福山藩(広島)の墓などが鎮座し、日本全国から函館にきて、戦死した英霊が眠っています。
~ これからの函館護国神社~
終戦から年月が経ち、戦争について語る人が少なくなってきました。次世代に語り継いでいくこと、神社のことを知ってもらい、みなさんに興味を持ってもらいたいです。他とは違い氏子のいない神社ですので、戦没者の遺族のみならず、地域の人に支えられる、愛される神社を宮司さんと祭典委員、事務スタッフらとともに目指していきたいです。
函館護国神社が多くの方の協力により、運営されていることを知りました。活動の原動力として、先輩から受け継いだ思いを大事にし、神社を守っていくこと、次世代にバトンをつなぐことを考えて活動しているということを聞くことができました。
谷口 真貴(たにぐち まさき)
函館に住んで6年。2013年4月より、スタッフに。現在、函館の人たちに夢中になっています!!
スタッフ連載・谷口の「先輩に聞いてみました!」vol.3 | はこまち通信 vol.51 掲載(2020年1月発行)
NPO法ができて20年がたちました。函館において、市民活動・まちづくりを一生懸命に活動してきた先輩に、大事にしてきた思いや考えなどを聞きました。まちづくりに関心のある方、これから活動してみようという方へお届けできれば幸いです。
函館市には182町会(2018年5月)、更生保護女性会は5団体(東・西・南・北・南茅部)あります。町会役員や在宅福祉委員、民生委員、更生保護女性会などで活動している石畑明子さんに、活動を始めるきっかけや活動を続けてきて感じたこと、今後について聞きました。
~ 町会とは? ~
町会では、地域住民が相互に連携を保ち、「自らの手で住みよいまちづくり」を目標に防犯、交通安全、防災、青少年の健全育成などの諸問題に対し、積極的な取り組みを行っています。(函館市ホームページより抜粋)
~ 更生保護女性会とは? ~
更生保護女性会は、更生保護に協力するボランティア団体です。
更生保護は、法務省が所管しており、その出先機関として、地方更生保護委員会(少年院や刑務所に収容されている人の仮釈放の決定などを行う機関)と保護観察所(保護観察、精神保健観察の実施や犯罪予防活動の推進などを行う機関)があります。
また、更生保護女性会のほか、保護司(法務大臣から委嘱を受け保護観察や犯罪予防活動を行う)、BBS会(非行をした少年たちの立ち直りの援助などを行う青年ボランティア)、更生保護法人(適当な居住がないため、立ち直りを妨げるおそれのある人を保護する施設の経営や、その助成などを行う団体)など多くのボランティアが協力しています。
(更生保護ネットワークホームページより抜粋)
~活動のきっかけ~
子どもが学校に入り、PTAに入ったことがボランティア活動の始まりですね。その後、班長として、町会を手伝うようになりました。10年以上班長を続け、町会の推薦を受けて50代半ばに民生委員になり、75歳で定年を迎えしました。民生委員になった同時期に、更生保護女性会に入会し現在も活動中です。
~活動を続けて~
町会では、みんなが集える場所・機会として、先生を呼んで、体操や麻雀、カラオケ、書道教室などを開催しています。一人暮らしの方が多いので、集まったみなさんの体調はどうかな?変化ないかな?とお互いに気にかけていますね。11月は児童館の子どもたちと餅つきをして、世代を超えて交流しています。
更生保護は保護司さんが中心となり、女性会が活動をサポートしています。いわば、車の両輪で、流行語になった「ONE TEAM(ワンチーム)」で、一緒に活動しています。裁判の傍聴をはじめ、再犯防止の合同研修会を開催しています。毎年バザーを開催し、刑務所に本や花の苗を寄贈するため、みなさんの協力を得ています。
ボランティアを続けていくことで、いろいろな人に出会い、今日の活動につながっています。また、家族の理解や支えがあり、とても助かっています。
~これから~
次世代にバトンタッチできるように、若いみなさんに協力してもらっています。周りの人に役員をやめればいいといわれるけど、後継者が育って、引継ぎしたいと考えています。今は2020年に函館で渡島管内の更生保護女性会の大会があるので、その準備に奔走しています。
クリスマスしおりづくりに参加した石畑さん(左)と大町町会のみなさん(まちづくりセンターにて)
身近な存在の町会活動、更生保護女性会などの活動について話してもらいました。地域の安全、犯罪のないまちづくり、いろんな人との出会いがあり現在の活動につながっているということを聞くことができました。
住みよいまちをみなさんでつくっていきましょう。
谷口 真貴(たにぐち まさき)
函館に住んで6年。2013年4月より、スタッフに。
現在、函館の人たちに夢中になっています!!<※この連載は全4回です>
スタッフ連載・谷口の「先輩に聞いてみました!」vol.4 | はこまち通信 vol.52 掲載(2020年4月発行)
NPO法ができて22年がたちました。函館において、市民活動・まちづくりを一生懸命に活動してきた先輩に、大事にしてきた思いや考えなどを聞きました。まちづくりに関心のある方、これから活動してみようという方へお届けできれば幸いです。
カリフォルニアベイビーは、まちづくりセンター近くにあり、西部地区に住んでいる方や勤めている方、観光客の胃袋をがっちりつかんでいます。『カリベビ』という愛称で地域に愛されているお店です。長年函館のまちと歩んできた話をお聞きしました。
~ カリフォルニアベイビー ~
カリフォルニアベイビーは、1976(昭和51)年にオープンしたアメリカンスタイルのコーヒーショップです。シスコライスが看板メニューで、食べ物はもちろん輸入ビールも人気があります。
大正時代に建てられた簡易郵便局を再利用した建物で、インテリアはアメリカに行った際に直接買い付けて来た本場の物ばかり。(HPより一部抜粋)
~建物との出会い~
当時は、漁業や造船業の売り上げが落ち、これからは「五稜郭・本町の時代」と多くの方に言われたのを覚えています(旧丸井今井百貨店[現在はまちづくりセンター]は、1969[昭和44]年に本町に移転しています)。駅前・大門が繁華街として人が集まり、五稜郭は第二の繁華街という感じでした。
現在の西波止場に東日本フェリーターミナルがあった時は、丸吉食堂という飲食店がありました。その後閉店したと聞いて、カリフォルニアベイビーを開業することにしました。
建物が気に入り家賃が予算内だったのも、商売を始める大きな決め手となりました。お店をオープンするにあたり、学生時代の仲間や友達が改装を手伝ってくれて、今でいうリノベーションを自分達でして、アメリカンな雰囲気にしました。天井が高く、大きな窓が特徴です。
~時代とともに~
コンビニもなく、気軽に食事ができるお店が今ほどなかったため、夜になると地元の大学生が食べに来てくれるようになり常連客が増えていきました。ランチは、近くで働いている会社員の方が食べにきてくれて、支えられました。
また、オープンして間もない頃に、女性ファッション誌に取り上げてもらい、その後、色々な雑誌にも取り上げてもらったことが追い風になり、当時のカクタスレストラン、クリフサイドに続く、地域で『三番目のお店』と言われるようになりました。元町や西部地区が観光地として取り上げられ、観光客が来るようにもなりました。
~これまでとこれから~
日々、シスコライスを中心に売り上げ、ボリューム感と安さが売りで、それを守ってきた結果、今日まできたという感じですね。また、『いつでも営業している』『いつでも食べられる』という『安心感』を大事にしています。今では、3世代で食べに来られるお客様もいらっしゃいます。当時食べていた味を守り続けてきた結果だと思います。
旧町名の『東浜町』から、今では『ベイエリア』と呼ばれるように、まちの名称や雰囲気は様変わりしましたが、変わらない・変えないものがあってもいいですよね。
柴田さんから、時代に応じて変えるところと変えないところを聞くことができました。色々な活動をされている方の参考になったのではないでしょうか。
谷口 真貴(たにぐち まさき)
今号をもって、連載「先輩に聞いてみました!」は終了です。函館市に住んで丸7年、色々な方と出会うことができ、函館の人の懐の深さ、人情に助けられ、
この企画が実現しました。ありがとうございました。
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【vol.1】 白浜クラブ代表 木村 マサ子さん編
【vol.2】函館護國神社祭典委員長 玉川 康隆さん編
【vol.3】函館南更生保護女性会 会長・大町町会 女性部長 石畑 明子さん編